Two
two / 2003.9.19






 最近、小さな頃の由乃をよく思い出す。どこに行くにも、何をするにも、ただひたすら私の背中を追いかけてきた、小さな少女の姿を。








 頬が、わずかに熱を持っていた。
 すぐに濡れタオルで冷やしたのが、あまりよくなかったのかもしれない。学校を出る前に鏡を覗くと、白い肌の中にあって、そこだけ赤く腫れているようだった。家に着くまでにはひくだろう、と楽観視していたものの、いまだに熱いと感じるとなると、まだ完全にひいてはいないようだ。
「令ちゃん」
 帰り道、由乃に出会ったのは、家までは曲がり角をあと二つ曲がるだけという、交差点でだった。
「いま帰り?」
「うん。由乃は?」
「今まで図書館。一緒に帰ろ」
 うん、と言うと、由乃はそれが自然なことであるように、手を握ってくる。帰り道は、昔からずっと同じだった。
 街には、初冬の風が吹いていた。時期的にはありえない寒さというほどのものではないけれど、ここ数日暖かい日が続いていたので、肌のほうが気候に追いついていないらしい。帰りに寄ったコンビニでは、早くもレジの隣に肉まんの保温機が置かれていた。
「剣道部って、滅多にお休みないよね」
 由乃は、繋いだ手をぶんぶんと振り回しながら言った。
「せっかく優勝したんだから、少しくらいあってもいいのに」
「優勝したから、次に向けてまたがんばるんだよ」
「そういうものなのかなぁ」
「そういうものなの」

 "黄薔薇革命"と一部に俗称された事件が解決したのが、今から二週間ほど前のこと。
 私が大将の大役を務める剣道の団体戦で、我がリリアンは見事優勝を果たし、同じ日に市内の病院で由乃は手術を受け、強くなるために自らの枷と戦った。
 お互いの気持ちを確かめ合い、再び姉妹の関係を復縁した後に待っていたのは、何も劇的なことのない、全てが元通りに戻っただけのごく普通の生活だった。
 ただ後に残ったのは、以前より少ししっかりした由乃と、ほんの少しの戸惑いだけ。

「ここ、赤くなってる」
 頬をつつかれたとき、くすぐったさより先に驚きが前に出た。なんとか変な顔にならずに済んだとは思うのだが、由乃のことだからとっくに気づいていて、元より驚かそうと思ってやったのかもしれない。
「練習中に、ちょっとね」
「お面かぶってるのに?」
「ちょうどはずしてたんだよ」
 嘘だった。面をつけずに竹刀を振るうことは許されていない。
 本当は、更衣室でぼーっとしながら考え事をしていたら、自分で開いたロッカーの扉に顔をぶつけてしまったのだ。幸い更衣室には自分一人しかいなかったから人に見られることはなかったものの、私は頬を押さえたまましばらくその場を動けなかった。
 その考え事というのが他でもなく由乃のことなんだから、本当のことなんて言えるはずがない。
「由乃は?」
「ん?」
「図書館。何しに行っていたの?」
「ちょっと、調べもの」
「一人で?」
「途中まで祐巳さんが一緒だったんだけど」
 急に用事を思い出して、急いで帰っちゃった、と由乃は言う。祐巳ちゃんらしいな、と思っていると由乃がまさにそう言って、私たちは笑う。
「急ぎの用事だったの?」
「祐巳さんが?」
「ううん。由乃の調べ物」
「別に、そんなことないんだけど」
「明日で良かったなら、私も一緒に行ってあげられたのに」
「うん。でも、いいんだ」
 こんなときだ。
 由乃を少し遠くに感じるのは。
 今が夜で、ここが外で、本当に良かったと思う。あと少し周囲が明るければ、由乃は絶対に私の表情を見てしまっただろうから。
「令ちゃん?」
「ん、なに?」
「令ちゃん、ぼーっとしてる。部活大変なの?」
「そりゃ、大変だよ。由乃にはついてこれないんじゃない?」
「そんなことないもん。私が本気で剣道を始めたら、令ちゃんなんてすぐに追い抜いちゃうんだから」
「あはは。期待しないで待ってるね」
「もぉ、令ちゃんのばか」
 玄関先で、私たちは別れた。由乃は庭を小走りで横切り、ドアを開けたところでこちらを振り向いて、あっかんべーをした。

 由乃が私のために強くなろうとしてくれていることはわかる。
 だったら、私が感じているこの感情は、良い傾向だと思うべきものなのだろうか。







 令ちゃんのばか、と拗ねた声で言ったのは昨日の別れ際だというのに、次の日には何事もなかったかのように、由乃は家にやってきた。
「勉強、みてほしいの」
 自宅から持ってきた教科書と参考書を胸の前にかざし、ノーと言えるものなら言ってみろ、と言わんばかりの笑顔だった。

 せっかくの休日だというのに、家族はみんな出払っていた。いや、休日だから、か。
 私は、部活のない休日は、休息と、追いついていない授業の復習に充てることにしていた。どうせ夕方には由乃の家にお邪魔しようかと思っていたくらいなので、私は由乃を家に招き入れた。
「わ、また本増えてる」
 紅茶を入れて自室に戻ると、既に部屋でくつろいでいた由乃は、一応は机に教科書類を並べたものの、嬉々とした様子で本棚を物色していた。勝手知ったるなんとやら。
「こら。勉強するんじゃなかったの」
「いいじゃない、ちょっとくらい。あ、これ先週出たコスモス文庫の新刊よね。黄表紙の」
「黄表紙って言うの、やめて。江戸時代の風俗小説みたいじゃない」
 一年生の日本史はまだそこまでいっていないらしく、由乃は「それなぁに?」という顔をしていた。
 なんにせよ、本気で勉強を教わりに来たわけじゃないらしい。薄々わかっていたので、ため息は出なかった。
「令ちゃん、お勧めの本があったら、また貸して」
「いいけど、剣客や殺人犯の出てくるようなのはないよ」
「ううん、そういうのはいいの。令ちゃんの好きな恋愛小説がいいな」
 私は渋々、一冊の文庫本を差し出した。由乃は嬉しそうにそれを受け取ると、早速もくじから読み始めた。まさかこのままここで全部読み切るつもりなのか、と思ったけれど、本編はパラパラと一望するだけのようだった。
 私の好きな小説は少女もので、由乃が剣客もの。
 現実では私は剣道をやっていて、私の読む小説の主人公はみんな由乃みたいな女の子。
 思えば、趣味というのは大抵が後天的なものだから、誰もがあべこべだと言う私たちの嗜好は、なるべくしてなった結果だと言えるかもしれない。小さい頃からずっと一緒だった私たちは、お互いの持つ自分にないものに憧れ、本の中に求めてきたのではないだろうか。
 最近、お互いの本を貸し合いするようになったのは、お互いがもっと相手のことを知りたいと思うようになったから――そうだとすると、全てがうまく説明できる気がする。
「ね、令ちゃんって、誰かの家にお泊りしたことってある?」
 しばらく小説について話をした後、由乃は思い出したように言った。
「何度も由乃の家に行ったじゃない」
「私の家のほかに、よ」
 それはそうだ。だいたい何度泊まったところで、家が近すぎるせいか『お泊り』という気分にはどうしてもなれない。
「部活の友達の家になら」
「何回?」
「二回くらい」
 ふぅん、と笑う。
「私、今度祐巳さんの家に泊まりにいくんだ」
「えっ!?」
 思わず声を上げてしまったけれど、由乃は気にした様子はなかった。
「大丈夫なの?」
「大丈夫よ」
「でも、ご家族の方とかいるでしょ? 祐巳ちゃんには弟さんがいるらしいし」
「ちょっと前から祐巳さんとはお話してて、みんなOKだって、今日返事をもらったの」
「由乃は、私の家以外にお泊りしたことあるの?」
「ないわ」
「私の家に泊まるのとはわけが違うのよ」
「大丈夫だってば。そんなに心配しなくても」
「だけど」
「もう、いつまでも子供扱いしないで。令ちゃんのばか」
 しまった、と思ったときには遅かった。
 ほんの一瞬。顔に出てしまったのはたったそれだけの間だったが、私の動きが止まったその一瞬を、由乃が見逃すはずがなかった。
「嘘」
 何か言わないと、なんて考えているうちに先を制された。
「令ちゃんはばかなんかじゃない。そんなこと言う、私がばかなの。だから、そんな顔しないで」
 一瞬、その顔が泣いているように見えた。瞬きをした後に見ると、やっぱり由乃は泣いてなんかいなくて、それが見間違いだったことに気づくのだけど。
「由乃」
「ごめんなさい」
「由乃、どうして謝るの?」
「令ちゃんに、ひどいこと言っちゃったから」
「なにも気にしてないよ」
「ごめんなさい」
 埒があかないので、私は半ば強引に由乃を引きよせた。膝がややつまずくような形で、小さな身体は私の腕の中にすっぽりとおさまった。
「大丈夫だから」
「本当?」
「本当」
「よかった」
 そう言って、由乃は私の肩に顔を乗せた。ほら、勉強しないと、と言う。んー、あとちょっと、と返ってくる。私もおかえしとばかりに由乃の髪に顔を寄せる。やわらかい。
「ねぇ、由乃」
「なぁに?」
「もし、もしもね」
「うん」
 言おうかどうか迷って、やめようとして、結局言うことにした。
「私が遠くへ行っちゃたら、どうする?」
「追いかける」
 返事は一秒と待たずに返ってきた。
 私は顔を上げ、由乃を見た。
 由乃は臆する様子もなく、私の目を真正面から捉えていた。その純粋さが、少し胸に痛い。
「そう?」
「うん」
「じゃ、そのときは一緒に行こっか」
「うん!」
 手を握ろうとして、同じことを考えていた由乃の指先とぶつかった。二人してびっくりして、ふっと和らいで、あははと笑い合った。由乃の手は白くて、小さくて、もち肌だった。
「令ちゃんの手、タコができてるね」
 でも好きだな、と由乃は言った。



 お茶菓子取ってくるね、と言って由乃は部屋を出ていった。
 私は、由乃のぬくもりの残った掌をじっと見つめた後、その手でそっと頬を撫でた。



 <END>







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